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日本の書物の歴史

日本の書物が飛鳥時代から昭和期迄どのような変貌を遂げてきたのか簡単に解説します。



飛鳥時代(6世紀末-7世紀前半)

 用明天皇の皇子聖徳太子は、推古帝の摂政として冠位十二階、憲法十七条を定め、遣隋使を派遣し、仏教興隆に尽力した日本古代政治史上の英雄。聖徳太子自筆 ではないかとされる『法華義疏』(全4巻、611-615)は、法華経の注釈を集め、自らの注釈も施した書。この時代の書跡として日本最古のもの。法隆寺 伝来で、現在は皇室の御物となって保管されている、我が国第一の貴本。

白鳳時代(7世紀後半-8世紀初頭)・奈良時代(天平時代)(710-794)

 古写経として現存最古のものは、「金剛場陀羅尼経」(686)。天武天皇の孫で皇親政治家の長屋王(684-729)が残したいわゆる*長屋王願経「大般若経」は、和銅3年(710)、神亀5年(728)のものが現存している。

 天平時代の著作、筆跡、写経、戸籍、文書等の多くは正倉院に連綿と保管されてきたが、木造の建物の中に他の器物、工芸品と共にこれらが、また聖武天皇(701-756)、光明皇后(701-760)の確証ある書跡が今日まで伝えられたことは、世界文化史上から見ても奇跡に近いことである。

 伝聖武天皇筆の「賢愚経」*(大聖武)の断簡、光明皇后のご願経「一切経」天平12年(740)*(五月一日経)、天平15年*(五月十一日経)を始めとして、伝朝野魚養筆、薬師寺伝来の*「大般若経」、聖武天皇の皇女である孝謙天皇(718-770)の「一切経」神護景雲2年(768)*(神護景雲経)、鎌倉時代興福寺の僧永恩が天平経を諸寺から集めて句点を施し「大般若経」1部としたものが、末に「句切了 永恩」と朱筆であることから*(永恩経)と呼ばれているもの等の天平時代の写経の1巻が市場で入手できることは、驚異的なことである。更に特記すべきこととして、聖武天皇が全国の国分寺に分納した紫紙に金字書写の「金光明最勝王経」*(紫紙金字経)断簡、東大寺二月堂の紺紙に銀字書写の「華厳経」、寛文7年(1667)お水取りの際の火災でお経の天地が焼けた*(二月堂焼経)断簡等は、古代の装飾経として、また、「絵因果経」(*同断簡)は我が国最古の絵巻として、西洋の装飾写本とも対比できる。

 天平時代に年代の確証あるものとして世界最古の印刷物がある。前述の孝謙天皇の重祚称徳天皇が恵美押勝の乱(764)の平定後に発願した経文は、一切経の五千余巻を遥かに上回る、前人未到の百万部の「陀羅尼」を作り木製の三重小塔に収め、法隆寺等南都の十大寺に分納するというもの。百万の書写は短時間では不可能な為、木版あるいは銅版による捺印とした。4種の陀羅尼には各々異版があり、9種の版が知られている。神護景雲4年(770)に完成したことが、『続日本紀』に記されている。これが*「百万塔陀羅尼」である。

 史書としては、天地開闢から推古天皇(554-628)までを太安万侶が3巻にまとめた『古事記』(712)、神代から持統天皇(645-702)までを舎人親王らがまとめた勅撰の正史『日本書紀』(720)がある。

 『万葉集』は、仁徳天皇、皇后の歌と言われるものから、淳仁天皇時代(759)までの約350年間の歌約4500首を、全20巻に大伴家持(?-785)らが編んだ日本最古の歌集。

(*印の書物は、時間をかければ入手可能です。ABAJ各加盟店にお問い合わせ下さい)

平安時代(794-1185)

 寛平6年(894)菅原道真の提議により、遣隋使が廃止されてから次第に国風文化が興り、平仮名を用いた紀貫 之『土佐日記』(935)、『竹取物語』、『宇津保物語』、『伊勢物語』、『大和物語』等仮名文学が花開く中で、日本文学最高峰の紫式部『源氏物語』が 1010年代に成立した。また、勅撰和歌集『古今和歌集』(905または914)、『後撰和歌集』(951)、『拾遺和歌集』(1005-07)、『後拾遺和歌集』(1086)、『金葉和歌集』(1127)、『詞花和歌集』(1151-54)が撰進され、流麗な仮名草書による書写本が流布するようになっ た。これらの原本は現存しないが、稀に同時代の写本の*断簡が掛軸の形で「・・・切」の名で流通している。先年、伝藤原公任筆『古今和歌集』2帖が忽然と 市場に出たが、戦前戦後を通じて他に例を聞かない。

 平安末期には、仏教の末法思想により貴族による装飾写経が多く行われた。鳥羽法皇らによって駿河久能寺に奉 納された法華経*「久能寺経」(1141頃)、平清盛が厳島神社に納めた法華経「平家納経」(1164)は、我が国を代表する装飾経。奥州平泉藤原三代の 初代清衡による紺紙金銀交書「一切経」*(中尊寺経)、二代基衡、三代秀衡による紺紙金字「一切経」*(中尊寺経)、鳥羽法皇発願で後白河法皇が完成させ て高雄山神護寺に寄進(1185)したと伝えられる紺紙金字「一切経」*(神護寺経)、鳥羽天皇の皇后美福門院の発願になる紺紙金字「一切経」*(荒川 経)他の紺紙金字装飾経が、今日1巻で入手出来ることは、信じ難いことである。経典類の版本もこの時代後期から作成されたが、現存のものでは寛治2年 (1088)の刊記のある『成唯識論』が最も古い。この時代の版本の市場での入手は困難。

 絵巻としては、「源氏物語絵巻」、「信貴山縁起」、「伴大納言絵詞」、「地獄草紙」、「餓鬼草紙」、「病草紙」等が現存しているが、なお新出の可能性も秘めている。

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鎌倉時代(1185-1333)

 前時代に続く勅撰和歌集『千載和歌集』(1187)、『新古今和歌集』(1205)が撰進され、書写されていった。新古今集の撰者の一人で古典校勘の業に尽力した藤原定家(1162-1241)は、和歌集、物語を数多く書写し、今日に日本古典文学の姿を正しく伝えた。書も定家流の祖として優れ、*定家自筆の書跡断簡の掛軸でも大変珍重されるが、極く稀に『興風集』等*冊子本が市場に出現することもある。定家は、生涯を通じて日記を書き続けたが、冷泉家現存の「明月記」の一群として知られている。坊間に出ている*「明月記」もいくらかある。

 近年はこの時代の*冊子写本、例えば『源氏物語』の1帖と言えども、市場に出て来なくなった。

 経典類の版行が盛んに行われるようになり、*「春日版」、*「高野版」等の寺社版が多く現存する。嘉禄年間(1225-27)刊行の*「大般若経」は黄檗染紙に漆黒の印字が今に鮮やかである。銀界線、金銀箔砂子散らしの*装飾経も市場に稀に出現することもある。

 絵巻は、「紫式部日記絵巻」、「駒競行幸絵巻」、「伊勢物語絵巻」、「三十六歌仙絵巻」、「平治物語絵巻」、「蒙古襲来絵詞」、「吉備大臣入唐絵詞」、「法然上人絵伝」、「北野天神縁起」等々題材も多岐に亙っている。なお新出本の出現が期待される。

 この時代の天皇、皇族、公卿、僧侶、武家、役人等の尺牘、消息、文書、記録等の*古文書も時に市場に出てくることもある。

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南北朝時代(1336-1392)・室町時代(1392-1573)

 前時代までの和歌集、物語、随筆等が新興の武士、富裕町人等の求めに応じて公卿の手により盛んに書写された。正徹(1381-1459)、三條西実隆(1455-1537)等の優れた校勘書誌学者の*書写本も残っている。

 中世文学である軍記、連歌、小歌、謡曲、狂言等が起こり、また*御伽草子と呼ばれる、空想、教訓、童話的な物語が生まれ、それらは冊子、巻物に表現され、書写されていった。後者には絵解きと思わせる位ふんだんに絵が取り入れられた。

 引き続き経典類の版本が刊行されたが、鎌倉時代末からの、鎌倉、京都の両五山を中心とする臨済宗禅僧、帰化宋僧らによって開版された*五山版は、日本の古版本として極めて重要な意味を持つ。これらは宋・元刊本の翻刻が主であったが、仏典以外に儒書、詩文書、医書等の分野にも及び、日本人僧侶による著作、すなわち国書の刊行も行われるようになった。

 この時代、各地の武将、有力者により、内典、外典の出版が試みられるようになった。高師直の*師直版『首楞巌義疏注経』(暦応2年、1339)、堺浦道祐居士の『論語集解』(正平19年、1364)いわゆる*正平版論語、同じく堺の阿佐井野代々の『医書大全』(享禄元年、1528)、天文版『論語』(天文2年、1533)他の*刊行書、『聚分韻略』(文明年間、1470年代)等の*薩摩版、明応2年(1493)刊の『聚分韻略』より版行が続いた山口の*大内版、この一書『三重韻』(聚分韻略)の巻末には天文8年(1539)大内義隆開版の旨が明記されている。他、奈良の饅頭屋林宗二(塩瀬の祖)が刊行したとされる『節用集』(天文・永禄年間刊)等々、次の時代に繋がる開版の息吹が各地に芽生えていった。

 天皇、皇族、公卿、僧侶等の尺牘、消息の他、朝廷、幕府の下文、記録等の*古文書、禅僧の*墨蹟、あるいは*戦国時代の武将文書等は、古い時代の遺品及び歴史史料として、また茶掛幅として珍重される。

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安土桃山時代(1573-1600)・江戸時代初期(1600-1644)

 1590年、イエズス会宣教師ヴァリニャーノに導かれた天正遣欧使節が、活版印刷機を伴って帰国し、これより加津佐、天草、長崎等で1591年(天正19)より1614年(慶長19)まで、語学書、宗教書、日本文学書等がローマ字、国字活字で刊出された。これらの活版刊本を「きりしたん版」というが、現存31種、73本が知られている。当時刊行された「きりしたん版」は、100種以上に及ぶことも考えられ、なお新たな*「きりしたん版」の出現も期待できる。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵、文禄の役(1592)により朝鮮で行われていた銅活字印刷技術が活字、工人と共に我が国にもたらされた。後陽成天皇(1571-1617)は、『古文孝経』(文禄2年刊)、『勧学文』(慶長2年刊)、『日本書紀神代巻』(同4年刊)等8点のいわゆる*慶長勅版を木活字で刊行した。豊臣秀頼は、*『帝鑑図説』(慶長11年刊)を、徳川家康も、*伏見版『孔子家語』(慶長4年刊)等8点を木活字で、*駿河版『大蔵一覧集』(元和元年刊)、『群書治要』(元和2年刊)を銅活字(印刷博物館に現蔵)で印行した。後水尾天皇(1596-1680)の銅活字による勅版、『皇朝類苑』(元和7年刊)など3種も知られる。これら為政者を筆頭に、富裕町人、医者、僧侶等が、文禄4年(1595)から慶長、元和、寛永にかけて盛んに木活字による出版を行った。これらを*古活字版と言うが、中でも、角倉素庵、本阿弥光悦が作った*嵯峨本『徒然草』、『伊勢物語』、『謡本』等は、本文料紙、装幀に粋を凝らし、雲母模様を駆使するなど、日本の書物美の最高峰と言っても過言ではない。この約50年間の木活字本は、それまで写本で伝わっていたテキストを校合して刊行したものが多く、学問的にも優れた内容を有する。また、江戸前期以降の整版刷本に先駆けた初期活字印刷本として貴重視される。西洋と対比するに、日本のインキュナブラと言えるのではないか。

 御伽草子、縁起等の絵入り筆写本、絵巻、いわゆる*奈良絵本類、あるいは、和歌集、連歌、物語、随筆等の写本も多く作成された。この時代以前の筆写本を*古写本と言うが、内容的にも優れ、稀少性もあることから珍重される。

 室町時代と同様に、この時代の*古文書も尊ばれる。信長、秀吉、家康らの他、群雄武将の文書が歴史史料として、また、愛蔵の幅として貴重視される。

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江戸時代(初期を除く)1644-1868)

 木活字版の時代を経て、商業出版が芽生え始め、重版(需要に応じて時期を隔てた増刷)による多部数出版の必要性から、一枚の板に版を彫る整版印刷に戻り、あるいは移っていった。江戸時代前半は、上方を中心とした出版であったが、中期から次第に江戸での刊行が非常に盛んになり、仮名草子、浮世草子、赤本、黒本、黄表紙、合巻本、読本等、次第に大衆に娯楽本が浸透していった。その背景には、往来物を教科書とした、寺子屋での読み書き教育が広がったことと、貸本屋によるある意味での私設図書館が形成されていった、ということも大きな要因となっている。また、本の種類も多岐に亙り、史籍、漢籍、儒書、歌書、俳書、物語、随筆、注釈書、医学、本草、科学、歌舞音曲、道中・名所案内、暦、武鑑、地図等々、更に、浮世絵師による彩色木版の挿絵の入った狂歌本、また一枚刷の浮世絵、錦絵、墨摺りの瓦版等、今日ともあまり変わらない程の、情報メディアとしての出版活動が展開されていった。

 これら*江戸時代の版本は、今でも比較的手に入り易いが、ものによっては非常なる稀覯(きこう)の本もある。また同時に、前の時代までに伝わった筆写本、絵巻等が更に多く転写(*江戸時代写本)されていった。

 天皇、皇族、公卿、武士、僧侶、役人らの他、儒者、文人、俳人、画家、芸人らの*書簡、*文書、*筆跡も多く残り、全国各所の*地方文書も大量に保管されていることもある。

 幕末期に思想、建言書など、再び木活字(*近世木活字本)の本が少数刊出されたが、それとは別に、嘉永年間以降にオランダから活版印刷機が輸入され、長崎奉行所、江戸開成所等で蘭書、英書の*翻刻版、*辞書等が活版で印行され、明治の活版印刷文明の下地を作っていった。

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明治・大正・昭和(1868-1989)

 明治初期は、まだ江戸時代の出版形態を引きずっており、海外に目を向けた啓蒙、見聞、地理、思想、法制、軍事、政治、経済、技術、文学翻訳等、内容は開明的なものであったが、本は依然として和綴じ(*明治期和綴じ本)であった。

 同時に、明治初年より活版印刷が行われ、上記の内容の本、また旧時代の大衆読み物、演劇筋書き本等も洋紙、洋綴じ製本(*ボール表紙本)で数多く出版されていった。

 幕末に海外見聞を果たした福沢諭吉は、明治5年初めに*『学問のすゝめ』を機械漉き洋紙に鉛活字で印刷出版した。しかし、直後の需要が多すぎて活版による増刷は、用紙、技術の面でまだ充分に対応出来なかった。そこで急遽木版を彫り和綴じ本で増刷発行した、という印刷手段の過渡期を象徴する出来事があった。その後この本は、続篇を期待され17篇まで刊行された。各篇によって木版刷りと活版刷りの両方があるが、全篇和綴じ本の形態で刊出された。
近代文学初版本・限定本(*)

 初版本は、著者が自己の思想を著作という形で広い世界に公表した最初の本である。いわばその思想が社会的な効果を発生するに到った原典と言えよう。卓越した作品であればあるほど初版本の価値は大きく、純粋な学問の世界で、ある作品を評価する際には、先ずテキストとして初版本を拠り所とするのは学界の常識である。又、後の再版・重版本とは多くの場合装幀等が異なり、美しい印刷と相まって、オリジナルとしての価値・評価は世界共通のものとして認められている。

 美しい本の代表的なものは限定本である。もとより優れた作品を内容とすることが大前提であるが、用紙・活字・印刷・製本・装幀はもとより、木版・銅版・染色・肉筆絵等を用いて綜合統一した書物美は、観る人の心をゆり動かし、長く愛蔵にも堪える芸術品といえよう。

 自筆草稿は、著者が自分の手、自分の筆で書いた、直接的に著者の意図を伝えるもので、初版本にも勝った最高のテキストである。古典の場合でも著者の自筆草稿は、古写本に勝ることは言うまでも無い。名作の研究・鑑賞には、第一次的な根源的資料として、絶対的な価値を持つものである。その上、作者の筆跡に著しく個性が見られ、訂正・加筆等には創作過程における作者の心の動きが窺われ、一つしか創られないという稀少性と共に、最上の評価が確立されている。

 自筆書簡は、多くの点で草稿と長所・美点を共有している。手紙はその時の気持を相手に直接伝えた原物であり、歴史・伝記の資料としては欠く事の出来ない確かなものである。更にそれは宛名の人唯一人に見せる事を主眼としており、その非公開性という一種の秘密性が、研究者・コレクターにとって大きな魅力である。著作には書けない事が赤裸々に綴られており、その学問的価値は大きく認められている。

 短冊色紙などの額・幅の類は、飾って楽しめるという大きな喜びにあふれている。いつも身辺で好きな作家の直筆に触れられ、お洒落なインテリアとして観る人の心に感動を与え、プレゼントとしても最適である。

 夏目漱石・芥川龍之介・川端康成・三島由紀夫・大江健三郎など、世界的にも認められた日本を代表する作家たちの初版本・肉筆類は、その稀少性と共にますます需要が高まってきているが、今でも比較的容易に入手できるのは嬉しい限りである。

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